無垢の巨人 爆誕

20XX年1月15日

夕方、夫が息子を連れて塾に行こうとしている。

玄関で座りながら靴を履いている息子に、夫が「本持って行って」と言って、サッと息子が背負っていたリュックの中に本を入れた。

この直前、夫は、お腹がすいたという息子に、塾に行く途中でパンを買ってあげるという約束をしていた。

咄嗟のことで、息子は「本」と「パン」を聞き間違えたらしい。

息子は、「え?買うんじゃないの?」と夫に聞いた。

すると、夫は豹変。

は?なんで買うの?

何でも、すぐ買うっていう発想やめてくれる?」 

本とパンと聞き違えている息子は、わけがわからない。

「え?パン、買うんじゃないの?」ともう一度聞いた。

この言葉で、そばにいた私も、息子が聞き間違いをしていたことに気づいた。

当然、夫も気づいたと思うが、夫はその言葉を無視して、そのまま出て行ってしまった。

息子は、今日も悲しい表情をしていた。

どうして、息子の聞き違いについてリアクションを取ってあげないのだろう。

「パンじゃなくて、本だよ。

パンは後で買おうね。」

夫はその一言がなぜ言えないのだろう。

何ということもない、ただの日常会話だ。

夫のようなリアクションをする人と一緒に暮らしていくのは非常に難しい。

特に、子どもは傷つく。

言葉のキャッチボールは、子どもでなくても、大人にとっても必要だ。

夫はここ最近の豹変の前、とても穏やかな人ではあったが、何も話さない人だった。

そもそも会話のキャッチボールが少ない人だった。

そのことで、私は悲しい気持ちになったり、必要事項のやり取りの行き違いにイライラしたり、困惑したり、腹が立ったりしていた。

何を考えているのかわからない、、、、と途方に暮れることもあった。

それでも、優しい人だからと思って、心の中の違和感に封をしていた。

夫から「穏やかで優しい」という魅力が失われた今、私にとってはサイコパスとして思えなかった。

何を言い出すかわからない。何をしでかすかわからない。

無垢の巨人の誕生だ。

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