絶望

20XX年1月20日

1月に入ってからは、表面上では何とか家族らしく生活している。

息子の前で言い争うことがないように、年末からの離婚話についてはメールでやり取りしていた。

いくらやり取りしても、一向に話は平行線のままだ。

 

年末の話し合いの際に、夫は私が仕事に就いていない、就職する気がないことを批判してきた。

私は長年、モノづくり関連の仕事をしていたが、息子が小1になった際に、仕事を辞めた。

事情があってのキャリアチェンジで、仕事を辞めてすぐに大学院に入学し、二年半の研究後に国家試験が通れば、専門家として就職する予定であった。

ややこしい話だが、このキャリアチェンジの一番の目的は、その関連の研究(知識を得たかった)であり、その先に専門家として働けたらいいな、という希望を持っていた状況だった。

ちょうど義母が、この専門家として仕事をしており、ゆくゆく独立したいと考えていたことから、資格を取って、義母の独立を手伝えたらいいなと思っており、その話はもちろん夫や義母にも話していた。

私は大学院を卒業し、その半年後が国家試験というスケジュールの最中だった。

自宅で勉強をしている時期、まさに2か月後に試験を目前にして、夫から突然離婚を言い渡されたのだった。

私はその時から勉強を辞めてしまった。

手につかなかった。

過去問を前に、別のことを考えている時間がただ過ぎるだけになってしまった。

言い訳だといわれても仕方ない。

ただ毎日、夫の顔色を窺い、夫の暴言に怯える息子を守ろうとし、家族が元通りになるために自分はどうしたらいいのかを考え続けて、疲弊していく毎日だった。

本当に、命が削られていくというのは、こういう感じかと実感する。

どうしたら、また家族に戻れるのか、ずっと考えていた。

夫の年末の言葉を思い出し、またメールを何度も読み返して、解決の糸口を探した。

夫からのメールでは、

「言葉ではなく、どれだけ家族を想った行動ができるかが大事。

あなた(私)の言葉は、行動が伴うものではないので、中身がないものに感じる。

上っ面の会話や話し合いでうやむやにしたくはない。

距離をおきたいから出て行って」

この文面からだと何も具体的なことがないので、正直言って、指摘されていることがわかりにくい。

なので、具体的な例として出された内容を思い出してみる。

ガラスが割れる音 – 進撃のモラ夫 (shingekinomorao.com)

特に決定的だったという内容は、これなのだ。

だとしたら、最後に私が夫にかけた言葉が酷かったかもしれないが、その直前の夫の行動と態度は問題ないのか?それは「家族を想った行動」と言えるのか?

私はそう思えなかったから、最終的な言葉に繋がったわけであって、原因は二人にあるのではないだろうか。

私も夫も、言葉が少なすぎたのだと思う。

相手に対する思いやりに欠けていた。

私も、塾に行く前に、夕飯の支度はどうするか夫に踏み込んで聞くべきだったし、夫もそれを話してくれればよかった。

正直言って、そんなすれ違いはいくらでもある。

でもそれは、お互いに反省すべき点を話し合って、次に繋げればいいのではないかと思ってる。

夫婦って、そうやって少しずつ調整したり、すり合わせていかないと、どうしたって衝突するものだ。

どちらか一方が悪い、という話ではないように思っている。

しかし、夫はそのことを何度伝えても、絶対に受け入れてくれなかった。

「なぜ、お前(私)が悪いのに、二人とも悪いことになるの?俺は悪くない。」

夫の言い分は変わらずこうだ。

「自分(夫)が家族のために頑張る行動に、あなた(私)が繰り返し悪態をついてきた結果、自分(夫)はあなた(私)に対する愛情はなくなった。

子供は一人で育てられるので、出て行って。」

年末に間に入ってくれた義父母も、ほぼほぼ私と同意見だったが、実の父母から指摘されても変わらない夫の気持ちが変わることなんてあるのだろうか。。。

絶望。

 

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